新着情報

【タックル法律講話】鹿児島「大崎事件」で、2度目の再審開始決定! 無実であることは間違いありませんが、「開かずの扉」との戦いは 険しいものです!

2018/01/14

鹿児島「大崎事件」で、2度目の再審開始決定!
無実であることは間違いありませんが、「開かずの扉」との戦いは
険しいものです!


「やっとらんもんは、やっとらん!」

鹿児島県大崎町で今から38年前の昭和54年(1979)、農業中村邦夫さん(当時42歳)の遺体が見つかった「大崎事件」で殺人罪などに問われて服役した義姉の原口アヤ子さん(90歳)が裁判のやり直しを求めた第3次再審請求に対し、鹿児島地裁は、再審開始を認める決定をしました。裁判長は、アヤ子さん有罪の根拠だった共犯者らの「自白」について、「捜査機関の誘導で変遷した疑いがあり、信用性は高くない」と判断しました。
事件のあらましは、邦夫さんが自宅隣りの牛小屋で遺体で発見され、まず、隣に住む邦夫さんの長兄(アヤ子さんの夫)と次兄が、殺人・死体遺棄容疑で逮捕。さらに、甥(次兄の息子)が死体遺棄容疑、長兄の妻であるアヤ子さんを殺人・死体遺棄容疑が逮捕されました。警察・検察は、「知的障害がある長兄らだけで事件を主導できるはずがない」とのストーリーのもと、アヤ子さんが主犯格として長兄らに指示して「酒乱の邦夫さんを保険金目的でタオルで絞め殺した」として起訴しました。昭和55年(1980)、鹿児島地裁は、アヤ子さんの無実の主張に耳を貸さず、殺人・死体遺棄罪で懲役10年、長兄に8年、次兄に7年、甥に1年の判決を言い渡しました。アヤ子さんだけが控訴しましたが、高裁、最高裁ともに棄却されて刑が確定しました。
アヤ子さんは、服役中も、刑務官から「罪を認めれば早く出所できるよ」と言われましたが、「やっとらんもんは、やっとらん!今認めたら後で裁判のやり直しが出来なくなる。認めるわけにはいかん。」と言い続け、平成2年(1990)に懲役10年の満期を終えて出所し、周囲の白い目に耐えて農家のアルバイトなどで生計を立てながら、再審請求を引きくけてくれる弁護士さんを必死で探し回り、ようやく平成7年(1995)から再審への取り組みが開始されたのです。


一日も早い名誉回復を!

私も約20年前にアヤ子さんの再審請求の弁護団に加わり、何度も鹿児島に通いました。当然、無報酬のボランティアです。色々と調べた結果、明らかにアヤ子さんはやっていない、無実であり冤罪である、というのが私たち弁護団の結論でした。アヤ子さんにも何度も会いましたが、真面目で誠実な人柄で、嘘を言っていないことは直観的にわかりました。
では、なぜ冤罪が生れたのか?一つは、警察による自白の強要です。警察が描いたストーリーは、知的障害を持つ長兄らではなく、しっかり者でリーダー的存在だったアヤ子さんが殺人を計画し男性たちに指示して実行させた、というものでした。警察の執拗で過酷な取り調べに、知的障害を持つ長兄らは正常な判断が出来ず、あっさりと警察のストーリー通りの自白調書を作られてしまいました。
もう一つは、死体検案書のいい加減さです。警察のストーリーでは、「タオルで首を絞めた」ことになっていますが、後の厳密な調査の結果、タオルで首を絞めた時に残るはずの索条痕(さくじょうこん)の所見が見当たらないことが判明しています。つまり、客観的な証拠とも合致しないのです。実にいい加減な捜査でした。真犯人が他にいることも、当時もっとよく調べていればわかったはずです。
私が関わった第1次再審請求では平成14年(2002)に再審開始決定を勝ち取って大喜びしたのですが、それもつかの間、その後の高裁、最高裁で取り消されてしまいました。再審開始は裁判所自身がその判決の誤りを認めるものですから、「開かずの扉」と呼ばれ、なかなか認められません。今回の再審開始決定は、実にあれから15年ぶりの決定です。高齢のアヤ子さんのためにも、一日でも早く無実が明らかになり、名誉が回復されなくてはなりません。それでは次号で!