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【タックル法律講話】検察審査会の「強制起訴」は、「人民裁判」「魔女狩り」になる恐れも 「市民参加」というマジックワードには注意が必要です。
2019/07/02
検察審査会の「強制起訴」は、「人民裁判」「魔女狩り」になる恐れも
「市民参加」というマジックワードには注意が必要です。
検察の「起訴便宜主義」
平成21年に導入された「強制起訴」という制度をご存じでしょうか?
この制度は、検察が不起訴にした事件について、選挙権のある国民から選ばれた検察審査会(検審)が「不起訴はおかしい。起訴すべきだ」と2回議決すれば強制的に起訴されるというものです。検察が不起訴にした事件ですから、検察役は選任された「弁護士」が務めます。裁判員裁判と同じく、「司法に市民の参加を!」という理念でスタートした制度です。
この10年間で、計13人が強制起訴されました。この中には、東京電力福島第一原発事故の旧経営陣の強制起訴もありますが、有罪となったのはわずか2人で、残りは「無罪」または罪に問えず裁判を打ち切る「免訴、公訴棄却」でした。
無罪が多発する背景には、捜査のプロである検察が「証拠上、刑事責任を問うのは難しい」と判断した事件を、検察役を務める弁護士が立証するのは極めてハードルが高いということがあります。
検察は、「起訴便宜主義」といって「起訴するか、しないか」という権利(起訴権)を独占しています。検察は「高度の有罪が見込まれる場合」にしか起訴しませんから、日本の刑事裁判は他国を圧倒する99%以上という驚異的な有罪率となっています。言い換えれば、検察は「無罪になるかもしれない」と思った事件はあえて起訴しないのです。
しかし、疑わしいのに起訴すらしないということ自体にも問題があります。悪い奴が起訴されずに悔しい思いをしている被害者もいることでしょう。本来は、起訴した後に、裁判によって、「有罪か、無罪か」を決めるのがあるべき姿だと思います。
特に、政治資金問題でグレーゾーンにいる政治家が不起訴で終わるということは、国民感情としては納得いかないものがあるでしょう。
「市民参加」型の危険性
一方で、いったんは不起訴となっても、「強制起訴」によって社会的な地位を失い、被告人という立場に置かれるストレスや裁判費用など、起訴される側の精神的・経済的負担は大きなものがあります。最終的に無罪や免訴となっても、通常の刑事裁判と異なり、検察審査会による「強制起訴」には金銭的な補償規定はありません。
無罪になる可能性が高いにもかかわらず「強制起訴」するのは、公開の場に引きずり出す、いわゆる「人民裁判」「魔女狩り」に陥る危険性があります。
検察審査会に詳しい高井康行弁護士は「検察官が直接不起訴の理由を説明するにもかかわらず、審査員(市民)がその検察官の意見に耳を貸さないなどということは想定していなかった」と振り返っています。
同じ「市民参加」型の裁判員裁判では、判決後に裁判員らの記者会見が開かれますが、検察審査会では議決書に記載された内容以外は明らかにされず、その審査の実態は「ブラックボックス」状態になっています。
高井弁護士は「検察審査会は、全ての証拠物や調書という生の証拠を見ないまま起訴か不起訴かを決めてしまう。証拠に基づかない判断であり、司法の本質に反する」と疑問を呈しています。私も同感です。
裁判員制度にしろ、検察審査会の「強制起訴」にしろ、「市民参加」という何となく美しいマジックワードに惹かれて行き過ぎると、司法本来の役割や機能を破壊してしまうことになるのです。そろそろ制度自体を見直す時期に来ているのでないでしょうか。それでは次号で!