新着情報

【タックル法律講話】「職場での旧姓使用は認められない」との判決! 「夫婦別姓」の議論には「日本の国柄」を守るという観点が欠けているのでは?

2016/11/17

「職場での旧姓使用は認められない」との判決!
「夫婦別姓」の議論には「日本の国柄」を守るという観点が欠けているのでは?


東京地裁と最高裁の判断

東京都の私立校に勤務する30代の女性教諭が、「結婚後に職場で旧姓使用が認められず人格権を侵害された!」として、学校側に旧姓使用の許可などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は「学校側が職員に戸籍上の姓の使用を求めるのは合理的で違法性はない」として女性の主張を退けました。判決は「旧姓は人が結婚前に築いた信用や評価の基礎であり、旧姓を使用して信用や評価を維持する利益は法律上保護される」とした一方で、「旧姓使用が社会的に根付いているとまでは認められない」「職場という多数の人が関わる場所では、個人を識別・特定するために戸籍上の姓の使用を職員に求めることは合理的であり、旧姓が使用できないという不利益を上回る」などと判断しました。
この「夫婦別姓」の論議は、正直、難しい問題です。実際、昨年12月には、民法の夫婦同姓規定の違憲性が争われた訴訟で、最高裁は「合憲」と判断しました。判決では「夫の姓を選ぶ妻が圧倒的多数の現状では、妻となる女性の自己同一性の喪失や社会的評価の維持の困難化などの不利益が考えられる。しかし、社会的に旧姓使用は広まっており、そうした不利益は緩和されうる」と指摘しました。これは、東京地裁とは逆の現状認識ですね。これでは、旧姓使用は社会的に広まっているのか?いないのか?よくわからないですね。
実際に、旧姓使用容認の機運は高まっています。政府が今年5月に示した「女性活躍加速のための重点方針」でも、マイナンバーカードへの旧姓併記や、公務員の旧姓使用の拡大などの方針が盛り込まれました。そうした動きに対して、東京地裁は「旧姓使用が社会的に根付いているとまでは認められない」と全く逆の見解を示したわけです。


「何でも平等!」というマジックワード

ただ、私の考えとしては、やはり、日本の伝統・文化・国民性からすると、「夫婦同姓」が基本だと思います。夫婦とは社会を構成する最小限単位の組織です。これが、夫婦別姓または旧名使用容認となると、家庭がバラバラになるのではないか?日本の伝統的価値観である「家」の概念が崩壊する危険性があります。夫婦、家という最小単位の組織が集合して、地域社会が成り立ち、その延長線上に国家があるという日本の「国柄」が消滅する恐れがあります。
「夫婦別姓」の主張の背景には、「夫の姓になるのは嫌だ!」というジェンダーフリー、男女平等の考えがあり、ことさらに、憲法の平等規定が強調されています。「何でも平等!」と唱えれば人間は幸せになれると盲信している人がいかに多いことか!
確かに形式的に平等を突き詰めれば「夫婦別姓」という結論にならざるを得ないでしょう。しかし、日本の良さ・強みの源泉である国柄、国体、伝統、歴史は、「平等」という西洋的な観点だけでは説明出来ないものです。家族がバラバラになった家庭で育った子供がどういう人間になるか?自分のことしか考えない利己的な人間ばかりになれば、家庭はもとより地域社会、組織、国家への帰属意識が全く無い国民ばかりになってしまいます。GHQが押し付けた憲法の「平等」というマジックワードに振り回されることなく、日本らしさを考えることが大切です。それでは次号で!