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【タックル法律講話】頻発する原発反対訴訟!「絶対に安全」「危険性がないこと」を証明するのは至難の業です。 国策に関わる重要問題を裁判官が判断できるのでしょうか?
2015/06/17
頻発する原発反対訴訟!「絶対に安全」「危険性がないこと」を証明するのは至難の業です。
国策に関わる重要問題を裁判官が判断できるのでしょうか?
同種の裁判で全く反対の結論が…
全国各地で、原発反対!の裁判が頻発していますね。四月十六日、福井地裁が関西電力高浜原発の再稼働差止めを認める仮処分決定を出しました。原発差止めを真正面から認めたかなり衝撃的な判断で、勝った原発反対派は大喜びでしたね。
ところが、続く四月二十二日には、鹿児島地裁が九州電力川内原発の再稼働差止めを認めないとの決定を出しました。この鹿児島地裁の判断は、原子力規制委員会の安全性の新規制基準について、「最新の調査・研究を踏まえ、専門的知見を有する原子力規制委員会が相当期間・多数回にわたる審議を行うなどして定められたものであり、最新の科学的知見等に照らし、その内容に不合理な点は認められない」というもので、極めて常識的な判断だと思います。
反対に、差止めを認めた福井地裁は、「新規制基準が緩やか過ぎ、合理性を欠く」「電力会社側は、安全基準を満たし、絶対安全で危険性がないことを証明できていない」としています。「危険性がないことを証明せよ!」というのは、ほとんど無茶ぶりに近いですね。「ないこと」を証明するのは極めて困難で、「悪魔の証明」とも呼ばれています。そういえば、以前、イラク戦争でも同じようなことがありましたね。「『大量破壊兵器がないこと』を証明できなかったから、イラクが悪い。アメリカから空爆されても仕方ない。」と。
福井地裁は「電力会社側がいくら証拠を出しても、危険性がないことは証明できていない」とし、鹿児島地裁は「ある程度の安全性は立証できた」と判断しましたが、結局、二人の裁判長の価値観の違いで、結論が正反対になっただけではないでしょうか?
そもそも、裁判官に判断できるのか?
裁判所には、「専門部」という部署があり、医療や特許など専門的知識が必要な事件は、「医療部」などの専門部において、精通した裁判官が取り扱います。しかし、「原発部」はありません。医療や特許よりもはるかに高度な専門的知識が必要な原発問題について、そもそも、専門でもない裁判官が判断できるのでしょうか?裁判官は、全知全能の神ではありませんし、その多くは文系ですから、高度な科学的判断ができるとは思えません。結局、こうした国策の是非を問う判断を裁判所に求めること自体に、かなり無理があると思います。例えば、自衛隊の違憲問題など高度な政治的判断が求められる案件については、裁判所は判断を回避しています。「それは国民の皆さんが判断することでしょ!」ということなのです。裁判官は選挙で選ばれたのではなく、単に司法試験に合格しただけの人たちですから、国民を代表する国会(立法府)で決定したものを軽々しく否定すべきではない、という「謙抑性」という発想です。
もっとも、裁判所には少数派の人権を守るという役割もありますから、多数決の政治の世界で敗れ去った少数派(左翼系政党など)が自己主張できる晴れ舞台(?)として利用するのも仕方ないのですが、それにしても、昨今の訴訟の乱発には大いに疑問を感じますね。それでは、また次号で!