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【タックル法律講話】生まれつき茶髪の女子高生に「黒髪指導」?
最高裁は「違法性なし」の判決
「ブラック校則」のレッテル貼りには疑問があります

2022/07/01

生まれつき茶髪の女子高生に「黒髪指導」?
最高裁は「違法性なし」の判決
「ブラック校則」のレッテル貼りには疑問があります

「ブラック校則」というレッテル貼り

大阪府立高校の元生徒の女性が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう指導されて不登校になったとして、府に慰謝料などを求めた訴訟で、最高裁は女性の上告を退ける決定をしました。これで頭髪指導の違法性を認めなかった一、二審判決が確定しました。
判決によると、平成27年春に入学した女性は、教員らに髪を黒くするよう複数回指導され従いました。しかし2年生の夏休みに明るい茶色に染め、再び指導を受けて始業式に黒っぽく染め直して登校しましたが、教員から「不十分」と繰り返し指摘され、28年9月から不登校になりました。
実際に生まれつき髪の毛が茶色だったら仕方がないと思います。それを無理に黒色に「染髪」させるのは矛盾している気がしますね。それでも最高裁は、「校則は学校の裁量権の範囲内」だと判断しました。
近年、「ブラック校則」という言葉をよく見かけますね。確かに意味のない校則もあります。しかし、全ての校則に理論的合理性を求めることも難しいと思います。
そもそも組織・団体の規則には、「強制性」はつきものです。「強制性」があるものを「ブラック」と言うのであれば、全ての規則は「ブラック」だとも言えます。
校則はなぜ必要なのか。集団生活ではある程度個人の自由は制限されます。髪の色や服装を自由にしても誰にも迷惑かけないという論法もありますが、やはり世の中には「風紀」というものがあります。「風紀」とは社会生活の秩序を健全に保つための規律です。

子どもたちの成長にとって大切なものは?

今の風潮のように、「みんな違ってみんないい」といって、校則を自由なものにしてしまえば、集団生活が成り立つでしょうか?社会に出れば、大多数の人が否応なく集団で行動することになります。反抗期・思春期の中高生時代に集団行動の訓練をやるためにも校則は必要ではないでしょうか。個性を抑えて我慢することや集団のために汗をかくなどを若い頃に身につける必要はあると思います。
それを「ブラック校則」と言って頭から否定してしまえば、個人はバラバラで無軌道な存在になり、集団、地域、ひいては国が成り立たなくなります。
「自分が好きなことをやりたい、嫌なことはやりたくない」という無軌道を修正して、自分を律する自律心・公共心を涵養するのが、校則です。
今回の事件のように生まれつきの髪の色まで直させるのは行き過ぎだと思います。しかし、一方で、「校則指導で不登校になった」として学校や教員の責任を問う訴訟が頻発したら、教育現場は萎縮し、教員は指導すらできなくなってしまいます。
「ブラック校則」というレッテル貼りの風潮に流されることなく、子どもたちが成長するためには何が大切なのか、ということをしっかりと考えて答えを導き出したいですね。
それでは次号で!