コラム
【タックル法律講話】裁判員が出した死刑判決を最高裁がひっくり返す! 矛盾だらけの「裁判員制度」 一刻も早く廃止すべきです!
2015/03/21
「死刑」から「無期懲役」へ
先日、最高裁は、裁判員裁判による死刑判決を破棄して無期懲役とした2件の東京高裁の判決について、これを支持する結論を出しました。
一件は東京都内で男性を殺害した強盗殺人の被告人(64)、もう一件は千葉県で女子大生を殺害した強盗殺人等の被告人(53)の裁判です。
裁判員が出した死刑判決を覆した高裁判決が確定するのは初めてで、いずれも無期懲役となります。
最高裁は「死刑判決は真にやむを得ない場合にしか出してはならない」との前例を貫き、「裁判員であっても過去の裁判例を検討して得られた共通認識を議論の出発点とすべき」であり、「動機や計画性、殺害方法、被害者の数、前科などを考慮して、死刑が真にやむを得ないと認められるかどうかについて議論する必要がある」としました。
そのうえで、最高裁は、一件目の事件について「裁判員は、被告人が妻と子の二人を殺害した前科があることを重視しているが、前科と本件の強盗殺人は関連が薄く、前科を重視し過ぎた死刑判決は重すぎる」としました。
普通の人はこんな前科があれば死刑だと思うでしょうから、説得力に欠ける判断ですね。
また、もう一件の女子大生殺害事件については「殺害に計画性がなく、死刑は重過ぎる」としました。
しかし、計画性がある殺人の刑が重くて、行き当たりバッタリの殺人の刑が軽いというのは、普通の感覚からすれば、何かおかしいですよね。
もともと、裁判員制度は一審だけです。
それをプロの裁判官が二審でひっくり返して最高裁も認めたということですから、素人ながら一生懸命に時間と頭を使って死刑判決を出した裁判員たちは納得がいかないでしょう。
裁判員制度は既に破綻している!
平成二十一年に裁判員制度が導入されて以降、一審での死刑判決が増え、これまで二十二件に上ります。
そもそも、裁判員制度を導入した背景には、「市民感覚を裁判に反映する」という高尚な理想があったはずです。
そうだとすれば、裁判官は「過去の裁判例が…」「被害者が一人の場合は死刑にならない」「計画性がない」などの前例にとらわれるのではなく、市民感覚を謙虚に受け入れるべきです。
最高裁は「国民から、今までの判例の見直しを迫られている」と謙虚な姿勢になった方がいいんじゃないでしょうか?
そもそも、そこまで裁判員に配慮して市民感覚を尊重するのであれば、二審も裁判員裁判にすべきですし、最高裁にも裁判員を参加させるべきではないでしょうか?
それをやらずに一審だけ裁判員制度を続け、死刑判決については「過去の裁判例からズレてるから」と最高裁でひっくり返す・・・。
何のためにやっているのか、さっぱり分かりません。
「裁判に市民感覚を!」というのであれば、そういう感覚を持った裁判官が養成されるように、裁判官自体を鍛えるプログラムを組めばいいのです。
裁判員制度は既に破綻しています。一刻も早く廃止すべきです。それでは、次号で!
ビジネス情報誌「フォーNET」掲載:2015年3月